監督の注文は「毎回泣けるドラマに」

「びっくりしたのは、『毎回泣ける大河ドラマにしたい』と言われたこと。それに応えるのは難しいと思ったのですが、結果的に、3回に2回くらいは泣けるものになったのではないでしょうか。終盤のほうは毎回泣けましたし、それこそ中島さんの思うツボですよ(笑)。おそらく、最初から中島さんの頭のなかには、『毎回泣けるものができる』という確固たるイメージがあったのでしょう。いま、ドラマが終わってみて、改めてそう思います」

そんな大石さんの発言を受けて、「実は、ハッタリの部分もけっこうあったんです(笑)」と、中島さんから、まさかの告白が。

「『平安時代なんて誰が観るの?』と大石さんがとても心配されていたので、大丈夫ですよ!と言わないと、口説き落とせないと思ったんです」

そして始まった制作。脚本作りでは、1回の打合せに7~8時間かかることも珍しくなかったとか。

「長時間の打合せでも、行き詰って場がシーンとなる瞬間がなくて、トークがずっと途切れない。ほんとうに、あっという間に時間が過ぎるんです。大石さんは人生経験が豊富なので、おもしろいエピソードがたくさん出てくるし、率直な意見交換ができるので、とてもやりやすかったですね」

そう中島さんが言えば、大石さんも「中島さんとは相性がいいなと、勝手に思っていました」と返す。「私のほうがずっと年上ですが、中島さんをお姉さんのように頼りにしていたんです」

こうしたやりとりにも、抜群のチームワークが感じられます。

といっても、馴れ合いのような関係では決してない様子。岩槻アナの「大石さんからご覧になって、中島さんはどんな演出家(監督)でしたか?」との問いかけに、大石さんは迷わず、「厳しい監督でしたね」と答えたのです。

「脚本を大幅に直してほしいと、ビシビシ言われたこともあります。私に対してだけではなく、スタッフにも役者さんにも厳しい。このへんでいいか、と妥協せず、やるべきことを、とことん追求するんです。あいまいなやさしさに包まれている、いまの時代に、仕事の厳しさを体現している尊い人だと思いました」

「厳しい」というコメントに、「真剣に仕事をしているだけなんですが……」と少しばかり当惑気味の中島さんでしたが、「厳しい監督」という評価は、大石さんからの最大級の賛辞だったようです。