出身国のステレオタイプ
個人をその出身国の文化で性格づけることを、私たちはやりがちだ。国の文化の比較は国際的な場でよく耳にする話題である。人々は、ユーモアを交えて国の文化をくらべ、ときには不満や偏見を表す。
この「アメリカ人はこうだ」「タイ人だからこんなはずだ」のような、人と文化を単純に決めつける考え方を、英語でStereotype、ステレオタイプとよぶ。ステレオタイプは広く使われるが、多くの文化研究者が、個人を出身国のステレオタイプで判断することの問題を指摘する(1)。
たとえば、以下の日本人の文化を説明する記述を、自分に当てはまると感じるだろうか?
「日本人のコミュニケーションの表現は間接的で、相手への敬意や礼儀のため否定的な返答を避ける。日本人は、感情を表さない傾向があり、沈黙が多い」(2)
「全くその通り」と思う人もいれば、「いつの時代のことだ」「人によるね」「そういう人もいるけど、自分は違うぞ」と、反応は人によって違うだろう。これは、日本人でもさまざまなコミュニケーション文化をもつ人がいるからだ。
「個人の文化」は、その人が育った家庭や学校、職場で共有される価値観に影響を受け、変化する。だから、人生の時の流れと経験の積み重ねの中で、個人の文化は変わっていく(3)。
また、相手や場所によって、コミュニケーションのやり方を使い分ける人が多い。だから、国の文化にまつわる単純なステレオタイプで人を判断してはいけないというのが、現在の研究者の常識だ。