月の大小を知る暦から…

そのさい、江戸の趣味人たちは、単に数字を並べるだけでは面白くないと思いはじめます。そして、彼らは、その情報を絵に暗号のように隠し込んで楽しみはじめました。

そうした暦は「絵暦」と呼ばれ、毎年、年末になると、裕福な商人や旗本らが趣向を凝らした絵暦をつくって知人に配るようになったのです。

そして、優劣を競い合い、交換会まで催されるようになりました。そのなかに、大久保忠舒という旗本がいました。

彼は、絵暦交換会で大ウケする絵暦ができないかと思い、鈴木春信という、当時、売り出し中の若手絵師に目をつけます。そして、大久保は彫師と摺師も名人級を集めます。

そして、このドリームチームが生み出したのが、多色摺りを可能にする木版画技法でした。

鈴木春信の手による有名な絵暦『夕立』をよく見ると、浴衣の袖に「大」「二」「三」「五」「六」「八」「十」「メイワニ」と書いてあります。

つまり、絵のなかに「明和2年は、2、3、5、6、8、10月が大の月」という情報が隠されているのです。そうした遊びのため、多色摺り技法が発明されたのです。

絵暦ブームは短期間に終わりますが、それが生み出した多色摺り木版画の美しさに目をつけたのが、浮世絵の版元たちでした。

まずは、趣味人たちから版木を譲り受けて、暦の部分や注文者の名前を削り、「錦絵(にしきえ) 」と名づけて売り出します。以後、この技法を駆使して、浮世絵は大きく発展していくことになります。

版画の工程(写真提供:Photo AC)