『マーメイド』初日のカーテンコールで(撮影◎Yoshitomo Okuda)

作品作りには、楽しく取り組んでいます。音楽を聞いているといろいろなイメージが浮かんできて、面白くてしょうがない。楽しんでいるうちに『マーメイド』ができてしまった。設定作りにストイックに入り込みすぎると、時間がもったいないし、勘が鈍ってしまう気がする。

だから僕はアンデルセンの原作も読んでいないし、ディズニーアニメも見ていない。『クレオパトラ』に至っては、ウィキペディアの説明を読んだだけです。何も参考にせず、断片的なイメージを想像力でふくらませていく。芸術ってそうあるべきではないかと考えているのです。

作品の設定作りに僕のオリジナリティを求める一方で、音楽には心からのリスペクトがあります。この音楽ならこういう振りしかない、というものを探り、音楽と舞踊を融合させ、音楽を最大限に価値あるものにしていく。

音は聴覚でキャッチするもの。それを視覚、つまりダンサーの動きが邪魔するわけにはいきません。たとえば、僕の演出した、『第九』の舞台を耳の不自由なベートーヴェンが見たときに、ああこれは自分の楽譜だ、音が形になっている、と感じてもらいたい。そんな気持ちでいつも舞台を作っています。

『マーメイド』の世界初演の日、僕の演出は間違っていなかったと確信しました。あの日の喝采だけは、作品を産み落とした僕のもの。でもその後の拍手や歓声はダンサーたちが受けるべきものです。

産み落としたらあとはもう、寝る子は育つじゃないけど、踊る子は勝手に育つ。なので、もはや子離れした親の感覚で見守っています。