バレエダンサーというと一般的にはストイックなイメージがあるようですが、僕は違う。まったくストイックではなく、そもそも一人でコツコツ努力することができない人間です。誰かに見られていないとモチベーションが上がらないので、人知れず何かの練習を重ねたことはありません。誰も見ていないのにどうして? と思ってしまう。

さらに、たまたまいい筋肉をしていたのでしょうね。寝起きでもすぐに踊れ、それが当たり前だと思っていた。どうしてみんなこんなにいっぱいレッスンするんだろう、ずっとそう思っていました。

そんな僕がバレエ人生で初めて、右膝前十字靭帯損傷という大ケガをしたのは35歳のときです。『海賊』の途中降板と手術、それに続く長いリハビリ。

周囲からは、「熊川が踊ってこそのKバレエ。熊川がいなければ、バレエ団として成立しないだろう」という声も聞こえてきました。

それ以前から僕は、熊川哲也を前面に出すのではなくKバレエ全体を押し出したいと考えていたのです。でも一方で、僕が踊ることによるチケットセールスを拠りどころにしているという事実も厳然としてあった。どんなに悔しくても、「熊川のいないKバレエは終わりだ」という声に反論ができなかったのです。

あのとき、「いずれ僕は踊れなくなるけれど、熊川が踊らなくても熊川がいればKバレエはいいものだという説得力を持たなくてはならない」と思いました。Kバレエが直面したさまざまな問題は、どれもいずれは考えなくてはならないことだったと思います。

それに、一時はもう踊れないかもしれないとさえ思っていたのに、カムバックを果たすことができた。再び踊れることへの喜びと感謝。あの日々に意味はあったと振り返ることが、今ならできます。

もしもあのままケガもなく突き進んでいたら、年齢を重ねるとともに少しずつ心が重くなっていたのではないか。そんな感じがしてなりません。

後編につづく