『白毛女』の公演より。松山さんが演じた、苦労から髪が真っ白になった貧しい農民の娘・喜児(シーアル)は中国の観衆の感動を誘った。飯島篤撮影(写真提供:松山バレエ団)
舞踊家の松山樹子さんが2021年5月に、そして10月には牧阿佐美さんが逝去。それぞれバレエ団、バレエ学校を設立し、日本バレエ界の発展に大きく貢献した。舞踊芸術の取材に長らく携わってきた記者が、二人のエピソードを綴った

中国で熱狂的に迎えられた『白毛女』

2021年は、バレエ界で大きな悲報が続いた。松山樹子さんと牧阿佐美さんという、バレリーナ、振付家、指導者として活躍したグレートマザーが他界したのだ。長年にわたって、お二人が観客の心に残した感動やバレエ界に遺した宝は計りしれない。

お二人は熊川哲也さんや森下洋子さんのような大スターではない。よほどのバレエ好きでない限り、名前を聞いて業績を思い浮かべることは難しいかもしれない。ただ、私は、2000年に読売新聞の舞踊担当記者になって以来、お二人の名前を何回書いただろう。

牧さんは新国立劇場の舞踊芸術監督だったので何度も取材した。松山さんは一線を退いていたため、お話をうかがう機会はなかったが、愛弟子の森下洋子さんから、その偉大さを聞かされてきた。

「白髪の仙女になって現れる場面で息をのみ、気がついたら涙が出ていました。松山樹子というアーティストのすごさ、体ごとぶつかっていく表現力に感動したんです」(森下さん)

1970年、森下さんは松山さんの代表作『白毛女(はくもうじょ)』を見て衝撃を受けた。美しく踊るだけでなく、入魂の表現で心を打つ。その直前、欧米に留学して華やかなバレエ公演をいくつも見てきたが、松山さんの踊りはまったく違っていたのだ。その当時森下さんは牧さんの母・橘秋子さんに師事していたが、橘さんが病気がちだったこともあり松山さんの門を叩いた。