1996年、牧阿佐美バレヱ団の創立40周年記念公演『白鳥の湖』について、インタビューに答える牧さんと夫の三谷さん(写真提供:読売新聞社)

対照的だった二人の引き際

年齢を重ねるごとに存在感を増した牧さんに対し、松山さんの引き際は潔かった。1978年に55歳で現役を引退。長男で舞踊家・振付家の清水哲太郎さんが腕を上げると、バレエ団の創作面でも道を譲る。

晩年はいっさい表に出なかったため、私は2回しかお姿を見たことがない。1回目は2008年、夫で松山バレエ団を共に旗揚げした清水正夫さんの葬儀で、握手をしていただいた。温かく柔らかい掌の感触を覚えている。2回目は13年のバレエ団の65周年記念パーティー。哲太郎さんとその妻である森下さんの押す車いすで登場し、「愛燦燦(さんさん)」の穏やかな旋律に乗って踊ったのだ。腕や上半身を動かしただけなのだが、ムーブメントは流れるようで美しかった。

5月22日に松山さんの悲報が流れた時は、バレエ界にしみじみと悲しみが広がった。日本初の『白鳥の湖』全幕公演の出演者で存命していた重鎮だったので、古手の評論家は「最後の生き証人が亡くなった」と淋しがっていた。また、森下さんは舞踊生活70年の節目に生涯の師を送ることになった。

「息を引き取られる直前、目を開き私と夫を見つめました。『バレエで世界中の人々を幸せにするよう頑張りなさい』と強く伝えてくださったのではないでしょうか」
とのちに語っている。