1968年10月頃、ポーズを取る牧さん。この3年後に母・橘秋子さんが亡くなり、現役を引退して牧阿佐美バレヱ団、橘バレヱ学校を引き継ぎ、後進の育成、指導に当たる(写真提供:読売新聞社)

母とともにバレエ団を率いて

もうひとりのグレートマザー、牧阿佐美さんは東京出身。母・橘秋子さんからユニークな教育を受けた。成人すると米国に留学して帝政ロシア時代のバレエの流儀を知る名教師に師事した。橘さんは「バレエを日本で真の芸術に高めるには自国の芸術に通じるべき」という持論だったため、牧さんは日舞や華道、茶道、礼法を習い、滝行もしたという。

56年には母娘で牧阿佐美バレヱ団を設立した。草分けだった松山さんの下の世代なのですでにレールは敷かれていたが、牧さんは苦難の道を歩み続けた。

プリマとして活躍したのち、30代で経営や創作、そして後進の指導に軸足を移す。71年に橘さんが死去すると、バレエ団の運営を引き継いだ。

「公演費がかさんで借金もあって、とても続けられないと悩んだんですよ。でも、母を慕う生徒がいいレベルに達していた。仕事を途中で投げ出せないと思いました」と、その頃の心境を明かしている。

83年には、父親と佇まいが似ていたという17歳年下のバレエダンサー・三谷恭三さんと結婚し、二人三脚でバレエ団を引っ張った。門下からは草刈民代さん、上野水香さん、振付家の金森穣さんらが輩出している。