僕はおばあちゃん子で、幼い頃は祖母に面倒をみてもらっていました。祖母はすごく強い人で、僕が友達とケンカしたときなど、「1発殴られたら1000発返せ!」と言って、やり返すまで家に入れてくれないんです。普段はすごく優しいおばあちゃんなんですけどね(笑)。

実家は花屋を営んでいました。僕が2歳のとき、近くにインターナショナルスクールができたんです。開校祝いの花を届けることになり、僕もおじが運転する車の助手席に乗ってついて行ったところ、子どもたちが英語のレッスンを受けている姿に釘付けになった。

そこから動かない僕を見て、仕方なくおじは花と一緒に置いてきたそうなんです(笑)。親は、僕がどうやら英語に興味があるらしいと判断し、のちに僕はそこに通うようになりました。

祖母やおじに負けず劣らず、うちのオカンは自由人で、《フーテンの寅さん》みたいな人なんですよ(笑)。僕が5歳になった頃、オカンが突然「オーストラリアに行きたい」と言い出し、現地の知り合いを頼って渡豪することに。

僕も通訳として連れて行かれたのですが、帰国したら今度は「アメリカに行く!」と言い出して。それ以降5~6年、オカンとともにオーストラリア、アメリカ、日本を行き来する生活を送りました。

大らかなオカンから教わったのは、人に好かれる、愛されることの大切さ。特に「人が嫌がることはするな。人を気遣える人間になれ」と厳しく言われて育ちました。でもそこさえちゃんとしていれば、あとは好きに生きなさいと自由にさせてくれたので、すごくありがたかったですね。僕の人格形成には、家族の影響が大きいと実感しています。

日常生活に困らない英語力を身につけられたのも、育った環境のおかげ。英語ができることは、芸能の仕事をするうえで強みになりますし、広い世界があることを、身をもって感じられたことは幸運だったと思います。今後もビジネスや社会的なテーマを語れるレベルを目標に、勉強を続けていくつもりです。