女たちが憧れたふたり


 富岡は、由子と会うといつも最初に髪の匂いを嗅いで、「私、子どもの髪の匂いが好きなんや」と白石に言ったものだ。
「多惠子さんも満寿夫さんも優しくて、うちのファミリーみたいなもの。パーティーでは私がただひとりの子どもなので、絵を描いたり、子ども好きな郁乎さんや吉岡実さんと遊んでもらっていました。私たちは漫画世代でしょ。私が『少女フレンド』を持っていくと、楳図かずおや水野英子を一緒に読んで、『日本語がヘン、この日本語をどう思うかね』と議論が始まるんです。満寿夫さんが画用紙と絵の具を貸してくれると、多惠子さんは決まって『またマスオは由子に高いドイツ製の絵の具を使わせてる』と文句を言いました。
 多惠子さんには『由子、ちゃんとボタンがとまっていない。かずこも髪をとかしなさい』と、母も私もよく叱られた。母の料理はスパゲティミートソースや天麩羅は名人級に美味しいのだけれど、レパートリーが少ないので、母娘で多惠子さんのところで出汁のきいた美味しい和食を食べるのが楽しみでした。『そんなにガツガツ食べるもんやない』と言われるんですが。でも、愛情があることは子どもなりにわかるから大好きでした。母は『“白石クン”ってまるで年上みたいな呼び方をするのよね、あの人は』と言ってました」
 富岡多惠子と白石かずこ。あのころ、時代の風を耳元でビュンビュンならして走るふたりに、女たちは共振した。作風も性格も個性も違えどともに詩壇の人気者で、エッセイを書き、多方面に才能を煌めかせ、自由だった。一緒にミニスカート姿でテレビにも出演する仲であり、年下の富岡のほうがお姉さんのようにふるまった。森茉莉が書く。
 〈二人は互ひの偉さを知つてゐる。やさしくてこはい姉さん芸者と、可哀い妹芸者なのだ〉(「詩と私 タエコとかずこ」『群像』1972年5月号)