「カッコええやろ」
そのころの白石のボーイフレンドたちは黒人で、アパートには行き場のないゲイの友人を住まわせていた。85年に『ベッドタイムアイズ』で鮮烈にデビューした山田詠美が、恋人が黒人というだけで激しいバッシングにあったときよりも20年近く前である。
「音楽の趣味の違う多惠子さんはいなかったけど、母が四谷シモンさんや合田さんやコシノジュンコさんらと立川のディスコに通っていた時代です。三島由紀夫さんが一緒だったこともある。当時の私の乳母は、オカマと蔑称で呼ばれていたゲイの人たちでした」
自身を「はぐれもの」「流れ者」と呼んだ富岡は白石のアウトサイダーぶりを愛し、自分にはない奔放さをうらやみもしたろう。ふたりの論者で、文学者の水田宗子が記す。
〈その意識(注・はぐれもの思想)は二人が共有するものであったことは確かである〉
(『白石かずこの世界 性・旅・いのち』2021年)
水田も同様のことを書いているが、白石かずこ追悼特集でふたりの遊び仲間でもあった高橋睦郎は両者の違いをこう指摘する。
〈多惠子の闘いはどちらかといえば精神に傾くのに対して、かずこの闘いは肉体的。肉化incanateされないと詩にならない〉(「現代詩手帖」2024年10月号)
作品も佇まいも先駆的なふたりだった。
由子は笑う。
「ふたりとも、風当たりが強いの、好きでしたね。熱かったですね」
富岡が75年に「文學界」に発表した短編「昨日の少女」は、マスオと別れたあと、ひとりで暮らした時代に材をとったフィクションである。ここに女ともだちに送り込まれた〈犬よりもものをいわない〉男が登場して、〈じゃあ、結婚するしかない〉と言う。「動物の葬禮」などこの時期の作家の小説には、夫の菅木志雄を彷彿させる男がしばしば登場する。
由子は、菅を知った日のことも覚えている。富岡が机の上の写真を、「カッコええやろ」と指さしたのだ。
「多惠子さんが選んだのはどちらもアーティストだけれど、満寿夫さんと木志雄さんの作品ってすごく違うから、感覚とかも全部違うと思う。多惠子さんは木志雄さんと一緒になって幸せそうでした。木志雄さんみたいな人に愛されて本当によかったと思う。それは母にも言えることです」
80歳を超えて認知症の症状がではじめた白石は、40年近くを一緒に暮らしてきた22歳年下の菱沼眞彦と83歳で再婚していた。菱沼の腕のなかで亡くなっている。
「菱沼さんも本当に母を愛してくれています。多惠子さんと母、ふたりの女性は日本の女性を改革したみたいですが、人間的に幸せだったと思います。私は多惠子さんと木志雄さんと一緒に会ったことはあまりなくて、多惠子さんは、満寿夫さんとのことがあったから、プラベートなことは気をつけていたと思う。私は木志雄さんとはアーティスト同士として見つめ合っている感じ。多惠子さんが『カッコええやろ』と言った人がこういう作品を作っていたのか、って」