<尾張・紀伊・水戸>御三家との違い

御三卿は将軍家の身内として扱われました。

つまり、屋敷・経費・家臣のいずれも幕府から与えられており、一般的な大名に比べると独立性が非常に弱く、「部屋住み」の立場でした。

なお、特定の領域を有する領地はありません。居城もありません。

この意味で、尾張・紀伊・水戸の御三家、3代将軍家光庶子の甲府・綱重(25万石。6代家宣の父)、館林・綱吉(同じく25万石。5代将軍)とは大きく異なります。