御三卿には武家本来の大前提がなかった

御三卿には<代々の家督相続で家を続けていく>という武家本来の大前提がありません。

当主(屋敷の主)本人やその嫡子が養子となって御三家や親藩の越前家を相続した例があります。まさに本質は、然るべき殿さまになる候補としての「部屋住み」なのです。

また当主の死去もしくは他家への転出によって跡継ぎが存在しない事態が発生すれば、普通の藩は「取りつぶし」ですが、そうした事態になっても屋敷・領地・家臣団が解体されずに存続する「明屋敷」(あけやしき)という措置がとられました。

こうした御三卿の格式は、尾張家と紀州家に準じるものとされたようです。

元服すると従三位(朝廷の序列でいう「卿」)に叙され、長寿であれば権中納言や権大納言へ昇進します。当主と嫡子は「徳川」の苗字の使用を許され、庶子は「松平」を用いました。

幕府儀礼における御三卿の席次は、御三家の当主とその嫡子の間に置かれました。また、御三家の家格が尾張・紀州・水戸の順に固定していたのと異なり、御三卿はその時々の官職や年齢などで上下が決まりました。