ユーミン以来の大入りライブ
ここでは、作曲家に坂本龍一を選んだのは、ディレクターが持ってきたリストの中から「こういう場合は一番若い人でないとだめだと言ったの。変なことやったほうがいいから」(同前)その結果だと話している。
アルバムについて綴った富岡の3編のエッセイが収録された本の文庫版の解説は八木。彼は、詩作をやめた富岡が何に挑もうとしたのか、その時代の作家の心中に分け入って書いていた。
〈詩という作品を書くことをやめてしまうことで、じつは詩そのものを生きようとするところへ自分を追いやらなければならなかった〉〈つくられた芸術、味付けされた文学といったたぐいは、生身の人間が葛藤をくりかえしている現実で通用するはずがない〉(『詩よ歌よ、さようなら』1982年)
しかし、「詩に愛想尽かし」してもなお富岡の詩は人気が高く、当時、思潮社の現代詩文庫に入っている詩集は15刷りで、吉本隆明を抜いてトップだったという。
2000枚プレスされた「物語のようにふるさとは遠い」は、売れなかった。八木は、富岡に「どや?」と聞かれて、「ユニークな歌です」と答えるしかなかった。
「そうとしか言えないでしょ。けなすわけにはいかないし、ほめるわけにもいかないし。繰り返し聴きましたから、もう忘れられなくて」
アルバム発売の半月後、3月6日にはアングラの発信地、渋谷ジァン・ジァンでライブまで開かれている。入場料千円。詩の朗読会で藤圭子の「命預けます」を歌ったことはあっても、富岡が観客を前に歌手として歌うのははじめてのことであった。その日の歌手の姿は、数カ月後に「文藝」に発表された短編小説「桃色の服」に譲るとして、会場にいた八木に感想を聞くと、
「いやぁ、ヘンな会ですよ。不思議なもんでしたね。可愛いピンクの服を着て、花をつけてるのに、本人はテレてるんだもん」
ジァン・ジァンに定員200人の倍以上の観客がつめかけ、ユーミン以来の大入りとなったライブを、楽屋にいて、「服と合わない」と言う妻のために靴を買いに走ったはずの菅はよく覚えていない。だが、富岡マニアの中川浩子は克明に記憶していた。もちろん、LPレコードはサイン入りを予約して買った。
「あのジャケットを見たとき、後ろに立っているのが菅さんだとすぐに気がつきました。背の高さといい、富岡さんのいかにも安心した様子といい、いい写真ですよね。コンサートは狭いところにいっぱいのお客さんで、富岡さんは肩のところに花のついたピンクのドレス姿でした。超絶技巧のイントロで、歌い出しがわからない歌手のために、ピアノの坂本さんが手で合図をしていました。私は富岡さんの歌を聴くのははじめてだったので、低い声にはびっくり。途中、ゲストが小林旭のようにギターを抱いた三上寛で、歌のタイトルが『負ける時もあるだろう』だったので、客席がどっと沸いたんですよ。前の席には、前年の秋にジァン・ジァンで上演された富岡さん脚本の芝居『人形姉妹』に出ていた宮本信子さんが、まだ小さかった息子の万作クンを連れて座っていました」
自身「友人知人に顰蹙を買った失敗作」と認めるアルバムは、富岡の歌、坂本龍一の初期作品という希少性もあって、2005年、CDとして再リリースされ、24年12月にはLPも再発された。現在、実験的歌謡曲の極左と位置付けられている。