夫の職場に女房は入らない

 渋谷ジァン・ジァンでピンクの服で歌う富岡を眺めてから6年が過ぎたころだった。故郷の愛媛で働いていた中川は、「婦人公論」に連載中のエッセイ「藤の衣に麻の衾(ふすま)」を読んでいて、途中でわけがわからなくなってしまった。83年1月号から連載されたこのエッセイは、「女が生きるとはどういうことか。男女関係を中心に女性解放運動を考える」と銘打たれた、富岡のフェミニズム論である。
「挫折してしまいました。同じ時期に『群像』に連載されていた『表現の風景』は、全部読んでいたんですが。そのころから、富岡さんの書かれるものは内容も難しくなっていって、以前のように熱中しなくなりました。身近に接する機会もなくなり、遠巻きに読んだり、富岡さん、大丈夫かなと心配したり」
 とはいっても、中川は富岡作品を読むことをやめられはしなかった。92年春に再上京して2009年夏まで東京で働いていたときは、菅の個展にも漏らさず足を運んでいる。99年、横浜美術館での個展「菅木志雄 スタンス」で上映された、菅が監督した映画「存在と殺人」も、見逃していない。
「横浜美術館の学芸員の方が主演で、俳優の堀内正美に似た美男だったことを覚えています。プロの俳優は麿赤兒さんひとりでしたけれど、その少し前に五反田の山手線ホームで池上線方面に歩いていく、サムライのような面構えの菅さんをお見かけしてるんですね。池上線の階段で麿さんとすれ違ったこともあったので、映画の打ち合わせに麿さんに会いに行かれたのかなと、あとで想像したりしました」
 映画ファンの菅が200万円の低予算で撮った「存在と殺人」は、アーティストの思想が投影された作品。この映画に刑事役として出演した、素人俳優のひとりが八木忠栄だった。
「菅さんに頼まれて出たの。最初で最後の役者体験。セリフが覚えられなくてね。菅さんは、ヘンな木の切れっ端とかを使って作品作るでしょ。だから彼が触るとみんな芸術になるんですよ。富岡さんがそう言っていました。僕は菅さんの個展は割と見てますが、そこに富岡さんがいた覚えはありませんね。夫の職場に女房は入らないの」