小学生の頃の翔太くんと元木大介さんのツーショット
翔大、ホームランボールを持って。小学生時代にリーグ3位に。普段ほとんど褒めない父、頑張ったあとは短く一言、「おめでとう」と労ってました。ほんの2年くらい前の写真な気がして仕方ない…(写真提供:大神さん 以下すべて)
大神いずみさんは、元読売巨人軍の元木大介さんの妻であり、2人の球児の母でもある。2人の球児の母として伴走する大神さんが日々の思いを綴る。

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オフサイドくん

「オフサイドくん」

うちでは翔大のことをそう呼んでいた時があった。

うちの息子たちはサッカーや水泳、柔道、陸上、スキー、スケートなどのスポーツを中心に、3歳頃からいろいろな体験をさせてくれる幼稚園に通わせていた。

最初に翔大が正式に習ったのは、幼稚園のお友達がたくさん始めたこともあり、サッカーだった。

小さい時の翔大のサッカーはいつも、相手のゴール近くにどしっと構えて、ほかの子が競り合いながら運んできたボールをヒョイと奪ってシュート!を決めるという、なんか絶対ダメなやつ。常にオフサイド気味に人からボールを奪ってシュートを決めようとするので、私たちは彼のことを「オフサイドくん」と呼んで、コラコラと注意することが多かった。
5歳くらいの頃のことだ。

本人はサッカーに夢中で、いつになっても野球の「や」の字も興味がなく、まさか『クイズ!ヘキサゴンII』で珍回答を繰り返す父親の姿を見て、むかしはプロ野球選手だったとは夢にも思っていなかったようだ。

私はどこか心の中でホッとしていた。

野球のことはよく分からなくても、父と同じ世界に一歩足を踏み入れてしまったら、なんだか相当いろいろ「大変そう」「ややこしそう」「ひゃーやばいやばい」。
そう、いまその「いろいろ」をここに取り留めもなく書き連ねているワタシであります。

だからその頃は、できればお願い!お父さんと同じスポーツは選ばないでぇ…と、心の奥底で手をすりすりしながら願っていた。

そんなわたしだがかなり大人になってから、わたしの母親が若い頃、今のわたしと同じようなテレビの仕事をしていたことを知ってギョギョギョ!?となったものだ。ワタシが生まれるうんと前のこと。確かにマイクの前に立っていた、わたしの母。

親の姿を見ていなくても、子どもは親の姿を追うものなんだろうか。その話はまた後日…。