
オフサイドくん
「オフサイドくん」
うちでは翔大のことをそう呼んでいた時があった。
うちの息子たちはサッカーや水泳、柔道、陸上、スキー、スケートなどのスポーツを中心に、3歳頃からいろいろな体験をさせてくれる幼稚園に通わせていた。
最初に翔大が正式に習ったのは、幼稚園のお友達がたくさん始めたこともあり、サッカーだった。
小さい時の翔大のサッカーはいつも、相手のゴール近くにどしっと構えて、ほかの子が競り合いながら運んできたボールをヒョイと奪ってシュート!を決めるという、なんか絶対ダメなやつ。常にオフサイド気味に人からボールを奪ってシュートを決めようとするので、私たちは彼のことを「オフサイドくん」と呼んで、コラコラと注意することが多かった。
5歳くらいの頃のことだ。
本人はサッカーに夢中で、いつになっても野球の「や」の字も興味がなく、まさか『クイズ!ヘキサゴンII』で珍回答を繰り返す父親の姿を見て、むかしはプロ野球選手だったとは夢にも思っていなかったようだ。
私はどこか心の中でホッとしていた。
野球のことはよく分からなくても、父と同じ世界に一歩足を踏み入れてしまったら、なんだか相当いろいろ「大変そう」「ややこしそう」「ひゃーやばいやばい」。
そう、いまその「いろいろ」をここに取り留めもなく書き連ねているワタシであります。
だからその頃は、できればお願い!お父さんと同じスポーツは選ばないでぇ…と、心の奥底で手をすりすりしながら願っていた。
そんなわたしだがかなり大人になってから、わたしの母親が若い頃、今のわたしと同じようなテレビの仕事をしていたことを知ってギョギョギョ!?となったものだ。ワタシが生まれるうんと前のこと。確かにマイクの前に立っていた、わたしの母。
親の姿を見ていなくても、子どもは親の姿を追うものなんだろうか。その話はまた後日…。