「嫉妬できる」ということは

大人になればきっと嫉妬をしなくなっていくだろう。こんなに幼稚で、みっともない感情は、きっと若さゆえだろうと思っていた。しかし、もうとっくに大人も大人。40代に差し掛かっても一向に落ちついていない。

この情けなくて醜い感情に振り回されなくなるのは、5年後なのか、10年後なのか。美味しいご飯や暖かい布団があれば十分幸せだ、私は満たされていると思える自分に一刻も早くなりたいと心から願っている。

しかし、その一方でこんな疑問も湧き上がってくる。

もし誰にも何にも嫉妬することがなくなったら、それって私なんだろうか?

この競争心や自己愛は私らしさでもあるんじゃないだろうか? そして、嫉妬は私の原動力になっているんじゃないだろうか?

私だって誰かれかまわず万物に嫉妬をしているわけでもない。例えば、大谷翔平のすごさに嫉妬なんてしない。エッセイでいうと、大好きな向田邦子さんやさくらももこさんなんかには、ひたすら尊敬の気持ちしかない。比べるなんておこがましい。

幼い頃の斉藤ナミさんと同級生たち
服、容姿、持ち物…この頃にはもう嫉妬は芽生えていたかも

「嫉妬できる」ということはその相手が自分に近いからで、頑張れば手が届きそうだからこそ生まれる感情なのではないだろうか?

沸き起こる嫉妬心は私に、欲しいモノ、頑張れば手に入れられるモノを教えてくれているような気がするのだ。
「頑張れば届くよ? いいの? ぼーっとしてて」

だとしたら、嫉妬って悪いことばかりじゃないのかも……?