何より幸運だったこと

私が新しいアルバイト先としたのは、文化財保護課がある大阪府の吹田市立博物館であった。そこから市内の遺跡に派遣された。大学から歩いて発掘現場に行けるような近場や電車で5分も行けば最寄りの駅に到着するような場所で足掛け10年近くお世話になった。

大学院生になってからは、お願いして午前中だけ働かせてもらい、午後から大学の研究室に行った。お金がなかったので、お昼過ぎに大学に着くと食堂などには行けず、研究棟備え付けのコンロで買い置きしておいた蕎麦の乾麺を茹でて食べた。

お金に余裕があるときは、近くのスーパーで200円ほどの安い天ぷら盛り合わせを買って天ぷら蕎麦にした。お金がないときは、マルちゃんの「黒い豚カレーうどん」を食べた。

毎日終電の時間まで研究し、電車賃を浮かすために最寄りの駅から阪急電車には乗らず、丘の上にあった校舎から坂道を20分走り、自宅の最寄り駅まで直通であったことから、阪急電鉄よりも少し運賃の安いJRの駅から乗車し自宅に帰った(もちろん学割の利く定期券で)。それが私の大学院生時代のルーティーンだった。

午前中だけ働かせてもらうなどわがままを聞いていただいたアルバイト先の博物館の皆さんと調査員の皆さんには今でも大変感謝している。

そして何より幸運だったことは、考古学素人であった私のような学生に一から手取り足取り考古学の実践の基礎を教えてくれたことだ。それは本当に一からだった(0からのスタートであったとも言える)。後から知ったことだが、単なるアルバイトにそのような丁寧な指導をしてくれるところはほとんどないそうだ。

平板の立て方もトータルステーションの設定の仕方も三脚の立て方も図面の描き方もすべて教わった。土器の注記の仕方も遺構の白線の引き方もだ。こちらが勉強させてもらっているのに一円の月謝も払うことなく、逆にお給料がいただけたのだ。考古学を学ぶ学徒としては最高の待遇であった。

アルバイト先で先輩や後輩ができた。皆でよく飲んで食べた。今でも交流のある人たちもいる。そのうちの幾人かは、プロの考古学者になって今も日本各地の埋蔵文化財センターや教育委員会で活躍している。私のように大学の教員になった者もいれば、博物館の学芸員になった人もいる。

今から考えると人を育ててくれるスタッフに恵まれていた場であったのだと思う。