罵声をあびせる患者と母は同室に

私の母は認知症だが、罵声はなかった。意識不明になり一般の病院に入院したが、嚥下機能が低下してゼリー状のものしか食べられなくなり、それに対応できる介護施設を探すことになった。母は、心臓の機能が低下していたが、ベッドの柵をガタガタと揺する元気さがあり、介護施設の長期入居を断られたりした。

ようやく母は、認知症と身体の病気もある人を受け入れる療養型の病院に入院できた。

母は4人部屋に入った。母は90代、ほかの3人は80代のようである。私が面会に行くと、3人は私を自分の娘だと思った。3人のうちの1人は自力でベッドから起き上がり、「いいのよ。そんなに来なくても」と笑顔で言い、もう1人は寝たまま「あなたは元気なの?外は寒いでしょ」と季節に関係なく言った。

イメージ(写真提供:Photo AC)

ところが母の隣のベッドにいる女性は、「この売女(ばいた)!何しに来た!おまえなんかくたばれ!近寄るな!バカヤロー!」などと、ののしるのである。

私は父も兄も江戸言葉丸出し(べらんめえ)で、短気で怒鳴るタイプだったので、慣れていた。「はいはい、売女でございます」と言って彼女の横を通り抜け、母の寝ているベッドにたどり着いた。すると母は「妹が来た」と言った。母だけが私を娘だと思っていなかったのである。コロナ禍で面会が制限される少し前のことで、面会に制限はなかった。罵声をあびせる患者に面会に来る人を、私は見たことがなかった。将来の孤独な自分の入院の姿を見ている気がして、温厚な老人になろうと決めた。

面会に来る家族たちは、罵声の患者を怖がり、「部屋を変えてもらおうか」と相談していることもあった。ところが、母も含めて患者たちは、罵声の患者のことは全く気にせずに、それぞれの世界で生きていたのである。