アリタポーセリンラボの社史
松本氏は会の冒頭で、220年の歴史について語った。
「弥左ヱ門窯は1804年に創業しました。しかし2代目で廃業、家屋敷を取られ佐賀に丁稚奉公に行くのですが、ギャンブルがたまたま当たり家屋敷は取り戻すものの早死にしてしまいます。
3代目は銀行業を開始。有田に2つの銀行があったうちの1行で、現在は佐賀銀行に合併されています。その後、町会議員になり、その当時鉄道の路線が作られていたので有田に駅を誘致。当時は伊万里港から出荷されていた有田焼は「IMARI」と呼ばれていたのですが、有田駅から出荷できるようになり、初めて「有田焼」と呼ばれるようになりました。
4代目はもう一度有田焼をやろうと思い、有田焼を担いで欧州に売りに行こうと考えました。しかしながら南アフリカでお金がつきてしまい、現地でクリーニング業を始めます。事業は軌道にのり、貯めたお金で帰国し、有田焼を輸出する会社を創業。