音沙汰がないと「何かあったのでは?」と不安になる

そしてもはや中年になった夫でも、姑にとってはまだまだ可愛いわが子。夫が熱を出したと聞けば、「熱は下がったの?薬は何飲んでるの?」。

まさにこの原稿を書いている今、夫は足を負傷して自宅療養中なのですが、今回ももれなく「腫れはひいてるの?」と毎日かかさず電話がかかってきてます。

「1日でそんなに変わらんがな!」と心の中でツッコむ可愛くない義娘の私。実の娘、私の義妹とはさらに深い絆で結ばれています。

彼女が幼馴染だった恋人と同棲するために家を出る時には涙ぐむ姑。しかしそこは車で1時間半の姑の故郷です。

つまり恋人も恋人の家族も、村の人々も親戚か知り合いばかり、当時健在だった姑のお母さん(夫の祖母)を見に月に2回も行く場所にもかかわらず、です。

義妹が私のように地球の裏側に移住したら、ショックで寝込んでたかもしれません。それから義妹とは毎日4回の電話が姑の日課に。

わが息子たちへの溺愛も義妹の息子にも分割されて軽くなったこともありますが、20年以上経った今ではかつてのとまどいも嘘のように、すっかり当たり前のことになりました。

日本に滞在している時に夫から毎日ビデオ電話がかかってくると、日本の家族からは「また? しゃべることあるの?」と言われます。

しかし大事なのはしゃべる内容でなく、電話で声を聞いてコミュニケーションをとることなのです。

日本では「音沙汰がないのは元気な証拠」ですが、こちらでは真逆で「音沙汰がないのは何かあったのでは?」と不安になるほどに……。

毎日の電話に週末やイベントごとの家族ランチ。独立したり遠く離れていても、常にコンタクトを取り続けるのがイタリアの家族の姿です。

日本人の私からすると照れてしまいますが、いくつになっても誕生日に電話をくれることにも心が温まります。

もし何かがあったとしても、自分にはすべてを受け止めてくれる家族がいる。その安心感は、何事にも代えられない人生の宝物です。

 

イタリア流。』(著:中山久美子/大和出版)