「私はこれまで上質な服を追求してきましたが、満足のいくパフォーマンスを続けていくのは難しいと悟り、終止符を打とうと決めたのです」(撮影:荒木大甫)
上質な素材と洗練されたベーシックなデザインで、長年にわたり多くの女性の支持を得てきたファッションブランド「yoshie inaba」。デザイナーの稲葉賀惠さんは、2024年秋冬コレクションの発表を最後に、同ブランドをクローズしました。デザイナー人生に区切りをつけた現在の思い、そしてこれからの生活は――(構成:丸山あかね 撮影:荒木大甫)

寂しさはあれど気持ちはスッキリ

心を込めて取り組んだ最後のコレクションは、おかげさまで好評をいただき、無事に終えることができました。全国に構えていた28店舗も今年の2月にすべて閉じ、これをもって完全に引退です。まだまだ元気に過ごしているとはいえ、85歳になればどうしたってあちこちが傷んできますからね。(笑)

時代の変化にともなって、信頼関係を培ってきた工場が相次いで閉じてしまったことも、痛手でした。私はこれまで上質な服を追求してきましたが、満足のいくパフォーマンスを続けていくのは難しいと悟り、終止符を打とうと決めたのです。今はとてもスッキリしています。

昔から、引退する時はひっそりと、と決めていました。でも、社内で「本をつくったらどうか」という案が持ち上がり、気持ちが動いたのです。

残念ながら過去の作品は会社に保管していなかったのですが、自分のクローゼットにある服なら提供できますし、長年支えてくださったお客さまに直接会えずとも、感謝の気持ちをお伝えできる。作業は想像以上に大変だったものの、でき上がった『yoshie inaba』はまさに私の集大成。もう思い残すことはありません。

1月の終わりに開いたお別れパーティーには、たくさんの仲間が方々から集まってくれて、まるで同窓会のようでした。あの人にもこの人にもお世話になったと、さまざまな場面が鮮やかに蘇ってきて……。

もちろん寂しさもあります。だからといって「楽しい季節は終わってしまった」なんて考えるのはナンセンス。私の心が穏やかなのは、「なんて素敵な経験をさせていただいたのだろう」と思っているからでしょう。私が長くやってこられたのは、奇跡のようなものですから。