誰かが勝手に才能を見つけ出してくれるほど社会は甘くない
こうしたトレーニングを積み重ねると、2年生の終盤には、ふたりのゼミ生をランダムに選んで漫才をやってごらんと言えば、大体30分のネタ合わせで誰でも漫才ができるようになる。
ただ正直に言うと、面白い漫才をする学生と、あまり面白くない学生に、結果は明確に分かれる。
プレゼンテーションの技術を教えることはできる。だが、私の20年間のゼミ活動のなかで、ずっと抱えてきた課題は、どうしたらクリエイティビティを鍛えることができるのかということだった。
そして、その結論は、「クリエイティビティを教えることはできない。できるのは、彼らが自由に表現できる舞台を用意することだけだ」ということだ。
3年生のゼミで、完全に自由な発表の舞台を与えているのは、そうした考えに基づいている。ただ、残念ながらクリエイティビティは、持って生まれた才能に依存する部分も大きいのが現実だ。
ゼミの卒業生のなかには、映像制作の分野で大ブレイクした学生や、放送作家としていまや第一人者になった学生もいる。彼らは、なぜか卒業後に私のゼミの出身者であることを隠すので、あまり世間には知られていない。ただ、彼らが3年生のときに作った自分たちなりの舞台は、抜きん出て面白かった。
もちろん、そこまでいかなくても、ゼミで自分なりのステージを創り出した経験は、その後の社会での活躍に大いに役に立っている。
誰かが勝手に才能を見つけ出してくれるほど、社会は甘くない。自分が何を考え、どういうプランを持っているのかは、まず自分から積極的にアピールしないと相手には伝わらないからだ。