評価され、売れた『波うつ土地』
当初、引き継ぎの辻と3人で町田のあたりをよくドライブした。ファミレスに寄り、あてもなくぐるぐるまわった。そうして出来あがってきたのが、「群像」83年5月号に一挙掲載され、6月に単行本として刊行された『波うつ土地』。富岡多惠子の代表作ともされる長編である。
「富岡さんは催促されて書くひとではなくて、知らないうちにできていて渡されたんです。やっぱり、『波うつ土地』も、わからなかったですね。もちろん、富岡さんの文章は平明だから書いてあることはわかるんだけれど、感覚がわからない。主人公の女性は『バカの大男』と呼ばれる男と不倫関係でつきあっているんだけれど、『バカの大男』とは共通の話題もなく会話ができない、だから『性交という会話』をするんだと書いてある。性交だけでひとは関係を結ぶことができるんだろうかと悩みました。自分も女に勝手に幻想を抱いてその幻想を愛だと思っている、『バカの大男』と同じなんですね。富岡さんは甘っちょろい男の幻想を徹底的に暴いていく。すごい人だなと思いました。理解はできないけれど、掲載したらすごい評判がよかったし、単行本もよく売れたのは覚えています」
開発途上のニュータウンを舞台にした小説は「芻狗」同様、男は見られる客体であり、主体は女、性と愛とは別物だという視点に貫かれている。85年に文芸誌で行われた上野千鶴子と三枝和子との鼎談「男が変るとき」で、作家は、この作品で、つくられた男への幻想を壊したかったと語っている。
〈大して能力はなくても、中流的なある程度の働きをしている。病的なものは理解できない。その健康と普通の男のいやらしさ、こわさをどんどん書き込んでつくられた男を壊していこうとするものだから、ある年齢から上の男性は、幾ら何でもこんないやらしい男はいないという、文学以前で拒絶反応起してしまう場合もでてきますよ〉(「新潮」1985年12月号)