富岡多惠子と。山歩き中のスナップ(写真提供:石坂秀之氏)
戦後の日本文学史に決定的な影響を与えた詩人であり、作家であり、評論家であった富岡多惠子。54年を連れ添った夫・菅木志雄をはじめ、さまざまな証言者への取材をもとに、87年の生涯を辿る。


『芻狗』の波紋


 1979年、「群像」5月号に富岡多惠子の「芻狗(すうく)」が掲載されると、文壇では小さな波紋が広がった。芻狗とは儀式が終わると捨てられる祭事のための藁でつくった犬のこと。作家は全集の月報で「ロマンチック・ラブ・イデオロギーに対する異和感」を意識したと語り、85年に鶴見俊輔と「強姦論」をテーマに対談したときには、インテレクチュアルに書いた小説だ、と自作を解説した。

〈『芻狗』では中年の女が意識的意欲的に若い男を一本釣りしていく。しかし、性交はする、というより性交しかしないのに性的快楽におぼれない。中年の女が若い男の肉体におぼれるとか、女が浮気をしたら必ずおぼれる、というような俗説の噓をくつがえす〉〈次々に男がひっかけられていくことに対して男がどういうふうに反応するかということに、わたしは興味があったの。/女の肉体が買われる哀れな話からはじまって、強姦される話とか、いつも女が性的に屈辱を味わわされる話は、いかに文学化されていようと、もうウンザリするほど見たり聞いたり読んだりして、どこか底のほうでいやな思いをしてきているわけです〉(『鶴見俊輔座談 昭和を語る』2015年)

 78年に出た初の「婦人白書」によれば、当時のニッポンは女子の平均賃金が男子の56%という時代。「芻狗」発表の翌月に、イギリスではヨーロッパ最初の女性首相、サッチャー首相が誕生。日本では高島屋に生まれた初の女性重役、石原一子が翻訳したビジネス本のタイトルが『男のように考え レディのようにふるまい 犬のごとく働け』というものであった。ウーマン・リブの洗礼を受けてなお、すべての面で男と女の「差」は歴然としていたのである。あのころの「芻狗」に対する世間の目は察せられよう。富岡も最後のインタビューでは「ずいぶん怒られたもん。あっちこっちで」と話した。