不平不満が多い

世の中には満足できることなどあるはずがない。幸せな気持ちになったとしても、それは一時期のことでしかありえない。

なぜなら幸せが日常化すると、今度はその幸せな状態が通常になって、それを幸せに思わなくなる。

もっと幸せでないと幸せを感じられない。だが、次々と幸せ度を増すことなど不可能なので、新たな不満が募る。つまり、人間は常に不満を持つようにつくられている。

それに、完全なものを思い浮かべ、その理想に対してのマイナスを強く意識して不満を持つからこそ、人間は理想を追い求め、進歩を続けてきた。不満を持つからこそ、努力をしてきた。

不満こそが人間の人間たる要素だ。不平不満を口にする人は、ストレス解消を行っているのだろう。いやいやながら実行するとストレスがたまる。だから、それを口にする。「ああ、いやだいやだ」と口にすることによってはけ口ができる。

「うちの会社、ひどいよなあ。俺をこんな目に遭わせるんだ」と口に出すことで同僚と傷口をなめ合える。集団でストレス解消ができる。そもそも昭和の人々が会社帰りに飲み屋に寄ったのも、そのような愚痴を言い合ってストレス解消をするためだった。

しかし、そうであればあるだけ、周囲の人を不愉快にさせる。たまたま同じように感じている人が数人集まって不満を言い合うのであれば、愉快な気分になるかもしれないが、同じように思っていない人が交じっていると、空気が悪くなる。

周囲の人々は他人の不平不満を聞くと、どうしても士気が下がる。言っている本人はストレス解消になっているのだろうが、その分、周囲の人にストレスがたまる。

せっかくほかの人は心の底に不平を感じていても、それを考えないようにして意欲を高めていたのだ。それなのに、それを口にされると、せっかく食い止めていた不満が噴出してくる。

 

不平不満が多い人(写真提供:Photo AC)