青春の終わり

秋吉 かのマザー・テレサは「愛の対極にあるのは、憎しみではなく無関心」といっています。確かに、好きじゃなければ気にも掛けませんよね。反対に、愛があるからこそ期待してしまう。期待が裏切られれば負の感情を抱いてしまう。

下重 むずがゆいですが、そうなんだと思いますよ。私が優しい顔をみせなかったのは、父の弱さを直視したくなかったからです。つまり、自分の内にもあるはずの「同じ弱さ」を突きつけられるようで、目を背けずにはいられなかった。

秋吉 関係性が近い相手にはどうしても期待をかけてしまいます。血のつながりがあれば、なおさら……。先ほどもおっしゃっていましたね。

下重 父が死んでずっと経ってから、パリのピカソ美術館を訪れた時など「ここに連れてきてあげたら、さぞ喜んだだろうなあ」としみじみ感じたことがあります。生前はそんなこと、思いもしなかったのにね。

秋吉 ようやく青春が終わったんですね。

下重 本当にそう思いますよ。ずいぶん長いこと引きずってしまった、青春ですね。

 

※本稿は、『母を葬る』(新潮社)の一部を再編集したものです。

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母を葬る』(著:秋吉久美子、下重暁子/新潮社)

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