仕事を再開してしばらくしたとき、豪華客船「飛鳥II」で、「昭和を歌おう」というコンサートの歌と司会のお仕事をいただきました。船上での2泊3日。やりたくて即座に「はい」と返事したものの、発症以来はじめての泊まりの仕事、無理かもしれないと悩みました。そんなとき、ケアマネジャーさんから勧められたのがショートステイです。
極度の人見知りの母にショートステイはいかがなものか。そう思い、予行演習として近所の老人ホームで体験してもらうことにしました。3日間、私は家で待機。イヤがる母を「お仕事できないでしょ」と脅すようにして送って行ったので、気が咎めて、家にいても落ち着きません。
結局、施設に自分から電話をしてしまい、「お母さまは『トモ子に騙された』と帰ろうとして、ウロウロされています」という職員さんの言葉に、「引き取りに行かねば」と。そんな私に「今後も仕事を続ける気なら、ここで腹を括らなきゃ!」とクギを刺したのは、やはりケアマネジャーさんでした。
一睡もできずにいた私に対し、母は別段、変わった様子もなく帰ってきました。このことでひと山越えたような気がします。念願の「飛鳥II」でのコンサートにも打ち込めて、「これからは泊まりの仕事もできる」と、目の前が少し明るくなりました。
自分を奮い立たせるためにも「病院より美容院」
介護生活も4年目に入り、2月に母は98歳になりました。体重は減り、食も細くなっています。それでも杖や車椅子を使うことなく、家の中を歩きまわる。好奇心旺盛で機械をいじるのが好きな母は、「自分は何でもできる」と思っていて、キッチンのコンロもさわろうとします。一度、空焚きしたことがあって、調理台のガス、電気の元栓を閉めたため、わが家で調理に使っているのは電子レンジとホットプレートくらい。(笑)
介護の体制は、週に1度のデイサービス、訪問看護が週に1度、お医者さまの訪問診療が2週間に1度。ほかに、親戚や通いの家事手伝いの人の協力も得ながら過ごしています。
デイサービス通いでは失敗もしました。最初に行ったところでは、トレーナー姿にスニーカーやリハビリシューズといった方が多い中で、お出かけファッションにヒールの靴を履いた母は、みなさんから見ると違和感があったのでしょう。意地悪をする人もいて、そのことへの施設の対応に納得できないものがありました。
途方に暮れていると、「デイサービスはほかにもたくさんあります」というケアマネジャーさんの言葉。「次を見つければいいんだ」と気持ちを切り替え、今、通っているデイサービスにつながりました。
人でも施設でも、相性というものがあります。日本人にはなかなか難しいことだけど、合わない場合は「チェンジ」と恐れずに言うことも必要ではないでしょうか。