「それはそれで楽しかったのですが、『私は歌手なんだけどな』というやりきれなさを抱えていましたね」

過去を振り返ることは意味がない

頼みの綱は、東宝の社員だった母方の叔父でした。その叔父のツテで、宝塚劇場が宝塚のスターのために設立したばかりだった東宝レコードのオーディションに臨んだのです。「悲しい酒」と「雲にのりたい」を歌ってパスした時の喜びは忘れられませんね。

その後、レッスンを受けつつ、生活のためにスカラ座で、もぎりと案内係とエレベーターガールのバイトをしながら10ヵ月ほど過ごし、「大都会のやさぐれ女」という歌でデビューしました。小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」や尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」が大ヒットした年のことです。

私はといえば、マネージャーと一緒に全国キャンペーンの日々。お金がないから夜行列車で移動して、商店街のレコード店の前で歌ったり、夜の9時から朝方までは酒場回りをして「一曲歌わせてください」とお願いして歌い、レコードを手売りしていました。

その頃で印象的なのは、青森の八戸でバス待ちをしていた時のこと。大雪の中、ミニスカートにペラペラのコートを羽織っただけの姿で凍えながらバスを待っていたら、ギターを抱えた男性が歩いてきたんです。

咄嗟に顔を見たら、同時期にデビューした吉幾三さんでした。「お互いに頑張ろうね」と握手して別れましたが、吉さんの笑顔にどれほど元気づけられたかしれません。

デビュー曲は鳴かず飛ばずでしたが、私の場合、バラエティー番組『カックラキン大放送!!』やテレビドラマ『時間ですよ』に出演したり、CMに起用していただいたりと、コメディエンヌとしての仕事が忙しくなりました。それはそれで楽しかったのですが、「私は歌手なんだけどな」というやりきれなさを抱えていましたね。