沖縄での生活
2003年43歳の時に夫とミュージカルで出会い、2012年、52歳の時に夫と結婚しました。夫は、まっすぐな人で、すごく助けられています。子どもの頃からの刷り込みで、私は人に対し「NO」ということができず、相手に対して、ああでもない、こうでもないと、相手に説明するためのNOの理由を考えていると、夫は「ねえ?NOには、理由なんかなくたっていいんだよ。君がNOなら、NOなんだから。」と教えてくれた人でした。
すでに亡くなりましたが、夫の両親は私を息子の妻であると同時に、わが娘のように受け入れてくれました。彼らは、私が実の親のもとで味わうことができなかった“家庭というもののあたたかさ”を体験させてくれたのです。
私と夫は東日本大震災の後に、関東地方から沖縄に拠点を移そうと、物件を探し始めていました。義理の両親を、沖縄の家に連れてこようと思っていたので、家庭菜園が好きな義理の父が、退屈をしないように、畑がついているお家を選びました。結局住み慣れた地から2人が離れることはなかったのですが、私たちの友人たちからも慕われていて、私たちが帰れなくても、友人たちが泊まりがけで、義理の両親を見守ってくれていました。
結局、沖縄の家の畑は夫が仕立てて、今年で14年目。夫の手入れの甲斐あって本当にたくさんの野菜や果物が採れる素晴らしい土地になったのです。
私のこれからの季節のルーティーンは、まず朝起きたら海で泳ぐことから始まります。歌のための体力づくりという目的もありますが、ただ海が好きだからというのも大きな理由。水中眼鏡をかけて魚を観察しながらガシガシ泳いで、その後太陽が高くなってきたら愛猫のいる我が家に帰って仕事をします。日が落ちてきたら、また海へ行き、その後は近所の公営温泉に寄って潮を落として、帰宅。畑で採れた野菜を使って2人で、おいしい料理を作っていただきます。
家のご飯が夫婦共々好きなのと、家で作るものが美味しいので、外食することはほとんどありません。いっぺんに採れた野菜は発酵させたり、干したりして大切に保存します。畑は吉田俊道さんという方の“菌ちゃん農法”に倣って、例えば、数ヵ月かけて、「生ゴミのお漬物」のようなものを作って、糸状菌を増やし、それを土の中に混ぜて、強い土壌を作ります。地中の菌が窒素や酸素を取りいれてくれるので化学肥料も使いませんし、耕す必要もありません。農薬を使わないのに虫も来ない。毎日手入れをしなくてもよくて、ほとんど放っておくような農法なのですが、野菜たちは元気です。
こんなふうにお話ししていても、すぐ音楽から脱線して、生活のことを語ってしまう私です。というのも私の歌は、この暮らしから生まれた、作物のようなものだからかもしれません。
