中園 それがやなせさんの本質であり、アンパンマンの神髄なんですね。そんなやなせさんが遺した言葉にどっぷり浸りながら『あんぱん』のセリフを書いていると、私自身もどんどん元気になってくるんです。「日本が経済的に弱くなったから、もうダメだ」なんて弱音を吐いていちゃいけないのだと。苦しい状況でも、今、生きていること自体が素晴らしいのだから。
戸田 がんや心筋梗塞、膵臓炎などいくつもの病気を経験されて、晩年は入退院を繰り返していらっしゃいましたけど、そんな状況でも「人生はよろこばせごっこ」だと。
94歳で亡くなる半年前に、新神戸にできたアンパンマンミュージアムのオープニングにご一緒したとき、目や耳が不自由になられ、足元もおぼつかない様子でした。それでも子どもたちには元気な姿を見せたいと思われたのか、「杖は置いて歩いていくよ」とおっしゃって。私と腕を組み、「司会の人の声が聞こえないので、テープカットするときは僕の肩を叩いてね」と。
最後の最後まで、ご自分の持てる力で精一杯頑張り抜く。そんな先生の姿を思い出すたびに胸が熱くなるんです。
中園 実は、そんなやなせさんを作ったのは奥さまの暢さんなのだと、脚本を書いているうちに気がつきました。やなせさんの生い立ちはかなり複雑で、大切な人との別れや切ないエピソードも数知れず。でも暢さんと結婚してから、人生は明るく楽しいほうへ向かっていくんです。
戸田 奥さまは表の場には出てこない方で。一度だけお目にかかりましたけど、ご挨拶程度のお話しかできませんでした。
中園 資料に残る暢さんのエピソードは5つくらい。でも、そのどれもが私好みの「気の強いタイプの女性」なの。先に東京に出ていた暢さんを追いかけて、やなせさんが上京したり、雑誌の記者時代、広告費を払わない店主にバッグを投げつけたりとか。
ドキンちゃんのモデルが暢さんだというのも知られた話で、朝ドラによくある、夫を支えるタイプの妻じゃない。走るのもとっても速かったと聞いたので、夫をグングン引っ張って人生を切り開いていくヒロインを描こうと思っています。
戸田 素敵!