「10歳のときに大好きだった父が亡くなって悲しみのどん底に沈んでいたときに、母が『愛する歌』という詩集を買ってきてくれて」(中園さん)

中園 私がお手紙を送ると、すぐにお返事をくださって。なのに、本当に失礼な話なんですが、思春期の頃に、私から文通をフェードアウトしてしまった。そこで交流が途絶えたのですが、19歳のとき代々木の交差点を渡ろうとしたら、向こうからやなせさんが歩いていらして。

戸田 なんという偶然!

中園 ホントに。で、「中園ミホです」と声をかけたら、「え?」って一瞬驚かれたけど、「これから出版パーティに行くので一緒に行きませんか?」って連れていってくださった。でも、その頃、母ががんを患って家で寝ていたので早めに帰らなきゃならなくて。そうお伝えしたら「今すぐ、お母さんと話したいです」と、やなせさんが公衆電話から母に励ましの電話をかけてくださったの。

戸田 そのお話も先生らしい。「人生はよろこばせごっこ」というのが口癖で。イヤなことがあって私がヘコんでいたときも、「困ったり、苦しいときこそ、人がよろこぶことをやりなさい」と励ましてくださいました。

中園 もうひとつ偶然があって。今回の脚本を書くために、先生からいただいた手紙を探していたら、私が6歳のときに描いてもらった似顔絵が出てきたの。その色紙に「やなせたかし」のサインがあったんですよ。

戸田 え~、それはどうして?