
やなせたかし(漫画家、詩人、絵本作家)
1919年高知県生まれ。東京高等工芸学校工芸図案科(現・千葉大学工学部)卒業。戦後、高知新聞社に入社。上京後はデザイナー、舞台美術、漫画家、詩人などマルチに活動。名曲「手のひらを太陽に」の作詞も手掛けた。73年、雑誌『詩とメルヘン』(サンリオ)を創刊し、同年に絵本『あんぱんまん』(フレーベル館)を発表。晩年は病と闘いながら亡くなるまで創作活動を続けた。2013年、94歳で永眠(写真提供:やなせスタジオ)
1919年高知県生まれ。東京高等工芸学校工芸図案科(現・千葉大学工学部)卒業。戦後、高知新聞社に入社。上京後はデザイナー、舞台美術、漫画家、詩人などマルチに活動。名曲「手のひらを太陽に」の作詞も手掛けた。73年、雑誌『詩とメルヘン』(サンリオ)を創刊し、同年に絵本『あんぱんまん』(フレーベル館)を発表。晩年は病と闘いながら亡くなるまで創作活動を続けた。2013年、94歳で永眠(写真提供:やなせスタジオ)
中園 当時、デパートの屋上に、漫画家さんたちが似顔絵を描いてくれるコーナーがあって、母が姉と私を連れていってくれたんですね。係の人が振り分けて、たまたま私が当たったのがやなせさんだったようで。
戸田 そのときからご縁があったんですね。中園さんが脚本家になられたことを、先生はご存じだったのですか?
中園 多分、知らなかったと思います。私、本当にズボラで(笑)。子育てをしながら連ドラの脚本を書くだけで精一杯ということもありましたけど、「ものを書く仕事につきました」と連絡すればよかったな。でも最近、しきりとやなせさんのことを思い出すようになりました。
戸田 何かきっかけが?
中園 ここ数年、世界で戦争が起きているでしょう。やなせさんも第二次世界大戦の際に戦地に赴き、そのときの想いが作品にも色濃く反映されている。「今の世の中を見て、やなせさんだったらどう思うだろう?」って。それで、今回、朝ドラの仕事の話をいただいたときに、やなせさんと奥さまの人生をモデルにしたいと思ったんですよ。