香水の匂いをさせた母

母は外出がちで、あまり家にいなかった。自活の道を見つけようと、琴、三味線、謡曲、茶の湯、生け花、洋裁、書道など、おびただしい数の習いごとをしていたのだ。嵩から見ても化粧が濃く、いつも香水の匂いをさせていた。

きりりとした太い眉に、大きな目。快活で、目の前にいる人とすぐにうちとける性格だったが、しつけには厳しく、嵩は物差しでぶたれることもあった。

母の気の強さを嵩は受け継がなかったが、幼いなりに、母の望む子どもになろうとした。

あるとき、アデノイド(鼻腔の奥にあるリンパ組織)がはれて切除手術を受けることになった。医者がメスで患部をえぐると、大量の血が流れ出て、洗面器が真っ赤になった。それを見たとたん、横にいた母が「泣いちゃだめ!」と言い、嵩は懸命に泣くのをこらえた。医者は驚き、「こんな小さなお子さんが泣かなかったのははじめてです」と嵩をほめた。