当時は食堂車があって、移動だけだからお酒を飲んでもいいと、鹿賀丈史と二人で20本くらい空けたこともあった。いや、ミニボトルだよ(笑)。そんな日々だったから、よく丈史と言っていた。「僕たちはこうやって、人生の4分の1を電車で過ごすのかな」って。

バス移動もあったね。その時は裏方さんたちも一緒だから、彼らのためにお酒と氷を用意して、飲んだビールの空き缶で作ったカップに入れて「どうぞ」なんてやる。

裏方さんは裏方さんで「納豆を用意してあるぞ」って言ってね。そこで僕は、納豆は1000回かき混ぜるとおいしいと教わったんだ。

その人たちが今や、立派な照明家になって弟子がいたりするんだからね。『屋根の上』でご一緒している人もいるけど感慨深いよ。その時に出会った仲間たちとは、あの頃の青春を共有してるからね。

そうして公演場所に着くと、みんなで道具を搬入してから開演準備をするまでの1時間くらい市内を散歩。ただぶらぶらと歩くだけでいろいろな発見があって、その時に見た町の様子は今も鮮明に覚えている。

盛岡市の岩手県民会館に行った時は、大きな川の向こうにわんこそばのお店を見つけたけど、お金がなくて食べられなかった。あの時の悔しさは鮮明に思い出せるね。(笑)