それでも名古屋で仕事があるときや、学校の長期休みには、母のところに娘を連れて行きました。思えば私は父にしたのと同じように、孫を見せて親孝行をしているつもりになっていたんです。母も孫を慈しみますし、一見するとおだやかな家庭の風景ですよね。
でも、しばらくすると些細なことをきっかけに、母に対していら立ちを覚えてしまうんです。母は私の娘に「どうしてわからないの」という言葉をぶつけたり、漢字の練習で何回も書き順通りに書かせたりしている。ああ、私もこうやって言われていたと思い出し、嫌な気持ちになって。そのうち、母が娘に話す何気ない言葉が気になりだす。
たとえば母が「今日は雨が降って嫌だね」と娘に話しかける。すると、「雨が嫌だと決めつけるのか。雨も楽しいじゃないか」という思いが湧いてくる。昔、よく家で聞かされていた「高卒だからダメだね」みたいな一方的な価値観への反感がガーッと溢れてくる。だから娘を母に預けるときは、仕事だとか友だちとの約束だとかでそそくさと出かけ、母と長い時間を過ごさないようにしていました。
自分が楽になるために
そんな母が悪性リンパ腫を発症したのは、父が亡くなる少し前のことでした。抗がん剤を投与されて寛解し、再発したら治療するということを、亡くなるまで数年、繰り返しました。副作用には苦しめられましたが、抗がん剤が効いた後は、いままでと同じ普通の生活に戻る。
たまに娘を連れて行けば、母は相変わらず“指導”するし、私もやっぱりイライラしてしまう。病気をしたからといって母が丸くなるわけでもなく、私もマザー・テレサのように優しくはなれなかった。この期に及んでもなお、わだかまりを根深く持ち続けている自分が嫌でしたね。