こんな自分を変えよう、と思ったのは、知人のひとことがきっかけです。私は数年前から動物愛護のNPO法人のお手伝いをしていて、そこで知り合った、とても尊敬できる創始者の方に、母のことを相談したんです。すると彼は、「親というものは大事にしなくちゃ」と言います。それは、これまで知り合いからもトーク番組でも、うんざりするほど言われてきた言葉。でも、続きがありました。

「そうしたほうが、自分が楽になれる。生きづらさがきっとなくなるから、やってみたら」と。彼に言われると不思議とできる気がしました。それに、父と仲直りできなかった私は、複雑な思いを抱いていましたし、病気の母と過ごす時間はもうあまり残されていないかもしれない、と気になってもいて……。

母とのわだかまりを解消する、これが最後のチャンスかもしれない。そう思っていたところに、背中を押してもらえた感じでしょうか。「うーん仕方ない、それじゃやってみるかぁ」と、心を決めたのです。

では具体的に何をするか。私がもし母の立場だとして、余命いくばくもないとき、娘が何をしてくれたら嬉しいかな、と考えました。不機嫌にやってきて、お土産やお金を渡されても悲しい。私なら、娘が毎日楽しく暮らしていることを報告されるのが一番嬉しい、それを私もやってみよう、と思ったんです。

 

母に会うたび課題を設けて……

その頃、母は最後の抗がん剤治療を終え、すべての身仕舞いをしてホスピスに入っていました。私は仕事もあるので、週1回のペースで母を見舞います。自宅を車で出て東名高速を走り4時間半から5時間くらい。毎回行くたびにテーマをひとつ、自分に課すことにしました。

「今日は娘の楽しかった話をする」「病室からエレベーターまでいっしょに歩く」「母の手をさする」……。どれもこれも、普通の母娘なら日常的にしていることでしょう。でも私にとっては難しい課題なんです。私は母と、日々の些細な会話というものを、交わしたことがなかったのですから。

最初は、娘を連れて母を見舞っていましたが、ふと「これでは父のときと同じ、親孝行をしている気になっているだけだ」「母と正面から向き合わなくては」と思い、一人で行くことにしました。

家を出て高速でハンドルを握りしめ、「さぁ、やるぞー、今日は絶対、手を握るんだー」と自分に気合注入。病室の前に立ったら“元気で明るい私”を演出して「こんにちはー!!」みたいな感じでドアを開けて……(笑)。帰りの車では、「頑張った、やった、私はえらい」って自分をほめちぎりました。