「成人しても、結婚して子どもを産んでも両親といい関係を築けなかった私が、考えを改めるひとつのきっかけとなったのが、父の死でした」(撮影:川上尚見)
長年にわたり母との確執を抱えていたという、タレントの青木さやかさん。現在発売中の『婦人公論』3月24日号で、ご両親を看取った経験を語っています。わだかまりを解消するために掲げた目標とは…(構成=田中有 撮影=川上尚見)

「ごめんね」の一言が言えないまま

2014年に父を、19年の秋には母を見送りました。どちらも愛知県にいたので、近くに住む弟や親戚が主に通ってくれて、私はたまに顔を出すだけ。看病や介護の戦力にはあまりなっていなかったと思います。それでも、2人を見送ることを通して、私が得たものはとても大きかった。

成人しても、結婚して子どもを産んでも両親といい関係を築けなかった私が、考えを改めるひとつのきっかけとなったのが、父の死でした。

私が中学生の頃に母と離婚した父とは、長いこと連絡を取り合っていませんでした。それでも、娘が小学校にあがってからは、ぽつぽつと会うようになっていたのです。父は孫に会いたいし、娘もおじいちゃんに可愛がってもらえる。3人で名古屋の父の家で会ったり、父が私の家に来たりして、私は親孝行した気分になっていたんですね。

でも、私と父とのわだかまりや溝みたいなものがなくなったわけでは決してありませんでした。私は父と正面から向き合うのが怖くて、ずっと娘の陰に隠れていたのです。

そんな関係が続いていたある日、父と電話で娘について話すうち、言い合いになってしまいました。私は父が放った「お前の育て方が悪いんだ」の一言でカッとなって、「私のことを見てもいなかったのに、よくそんなこと言えるね」と猛反論しました。まさか、それが最後の会話になるなんて……。

しばらくして、父が家で倒れたと弟から連絡が入りました。「気がつかないうちに病気が進行していた。危険なのですぐに手術する」と。まだ父も60代と若いし、いままで何度か大病から回復していたので、私は「元気になったら、父と向き合おう」と悠長に構えていたのです。そうしたら術後の回復が悪く、父は急に危篤状態になってしまいました。

新幹線で駆けつけ、病室を訪れると、父の意識はほぼない状態で、コミュニケーションもままならない。病院の関係者や親戚がいる前で、「この前はごめんね」とも言えず……。そのうちに何日かして持ち直し、容体が急変するとまた病院に呼び出される、というのが数ヵ月続きました。

期待したり落胆したりの繰り返し。これが本当にこたえて、精神的にも肉体的にも限界でした。そしてとうとう謝ることができないまま、父は弟と母に看取られ、亡くなったのです。