歩いて手を上げ交わす、はずむように軽やかな英語の発音がうれしくて楽しくて。その日は妹と何回も繰り返しあいさつした。

後日、ほかのフレーズも習ったと思うが、まったく覚えていない。母が私の「英語を習いたい」という気持ちに応えてくれたことに満足したのか、いつのまにかわが家の英語教室は終わっていたようだ。

やがて私は中学校に入学し、母のすすめでラジオの英語講座を聞き始めた。そこで「オッハイビー」は私が信じ込んでいた英語のあいさつではなく、「Oh. Hi, B」であることを初めて知った。「ビー」というのは、Bさんという意味だった。ちょっぴり肩透かしをくったような気がしたことを憶えている。

時はたち、私は母となり、祖母となった。昭和30年代、父の安い給料で生活をまかない、家事が重くのしかかり、大変な思いをしていただろう母。子供のために知恵をしぼった英語のレッスン風景が、温かく思い出される。「オッハイビー」はおかしくも、胸に迫る「英語」である。


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