書店など、人と人がつながれる場所がそこかしこに

共生コミュニティが持つ力

「広場」の扉は、世代を問わずさまざまな人に開かれている。夫の急死がきっかけで転居してきた、今はサ高住のハウス長を務める女性は、身体に障害を持つ娘と同居中。娘は広場内にある障害者就労所へ通い、息子は多世代セーフティネット住宅で暮らす。まさに職住一致の生活だ。

「孤立せず、さりげなく人の気配のある暮らしに心強さを感じています」と笑顔を見せる。

家族の問題を機に、東京と那須の二拠点生活を始めた人も。「きっかけは息子が心身のバランスを崩し、家から出られなくなったことでした。二拠点生活で家族の風通しが良くなり、今はここの有機土木の造園でアルバイト要員として汗を流しています。人はコミュニティの中でしか再生できないと実感しています」と話してくれた。

佐々木さんが言う。「ここでは入居相談の時点で《参加型》のコミュニティであることを伝えています。人が健康的に生きていくには、個的生活と社会的生活の両方が必要だと思います」。

近山さんが続ける。「《参加型》というのは、困っている人が当事者として真ん中に立ち、困りごとや、あったらいいなと思うことを相談してみんなで解決していくという仕組みです。

そういえば、私の母は車椅子生活になっても歩きたいと願っていましたが、私は家をバリアフリーにしたあと、思えば当たり前のことに気がついたのです。問題は《段差》より《人手》だと。

誰かの助けがあれば、一歩踏み出せます。自分が当事者になれば自ずと見えてくるものがある――そうした当事者性が私の仕事の原点にあるように思います」

近山さんが佐々木さん、櫛引さんや仲間たちと培ってきた理念と、ポジティブな明るさに感嘆するばかりだ。

「私たちが勉強会で出会った若い頃、『もしなにかあっても、味噌と米と水、あとは人の助けがあればなんとかなる』と冗談を言っていましたが、今もそんな覚悟です」と近山さんは笑う。

時代を映しながら変化してきた共生の形に触れて、あらためて人のつながりの大切さが理解できた気がした。

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