まず〈一つめ〉。身体が衰えた、という感じは、日々嚙みしめています。こんなことまで出来なくなったのか、と我ながら驚くことがよくあります。特に最近、ショッキングなことがありました。
定期的に検査を受けている病院で、MRIと称する検査を受けることになりました。磁気を用いて写真を撮る検査で、土管のような太い円筒の中にのまま引き込まれ、音響の鳴り響く中で写真を撮られるのですが、これまで幾度も受診しているので、気楽に病院に出かけました。
面倒なのは、検査前の仕事でした。日常の衣服から検査着に着替えるのですが、冬は重ね着をしているので、この着脱が容易ではないことに気がついたのです。狭い着替え用の仕切りの中でよろけずに下着まで替えるのは、想像以上に難しくなっていました。
靴や靴下は脱がなくてもよいのに、そのほかはほとんど脱いで、上下の検査着に着替えねばならない。その仕切りの中にはテーブルと椅子が入っているので、ほとんど立ったまま衣服の着脱をしなければならないのです。
よろければ仕切りの壁にぶつかるし、一度倒れたら起き上がるのは困難だろう、と想像され……以前は無意識のうちにこなせていた検査着への着替えが、今や容易ならざる難事業になっていることに愕然としました。
あまりに時間がかかるので、「付き添いの方をお呼びしましょうか」と、狭い仕切りの外から一度ならず声をかけられましたが、思わぬ事態に、「大丈夫です」と大きな声をあげた。着替えにどれほどの時間がかかったかはわかりませんが、それが、20分と告げられた検査の時間よりはるかに長かったのは明らかでした。手間がかかることにばかり気を取られ、検査の妨げになっていることに気づかなかったのです。
以前は、気にすることもなかった着替えの作業が、いまや恐ろしい危険な仕事へと変貌していることに愕然とし、九十代の着替えは以前とは違うのだとあらためて気がついて、天を仰ぐ気分を味わいました。老いたのだな、とただ呟くしかなかった。
そして、これと似たことが最近よくあるのを思い出さずにはいられませんでした。〈老い〉は敵ではなく、憎まれ口を利きあう〈友〉のようなものに代わりつつあるのかな、との考えに落ち着いたりしたのですが……。