――次に〈二つめ〉。年齢とともにいろいろなことが億劫になり、不自由なことが増えた。不自由とどのようにつきあっているか、との御質問ですが、この問いへの答えは、短く簡単なものになってしまいます。ただ、驚くだけです。
アレ、こんなことも出来なくなっている、と気づくと、思わず笑いだしてしまいます。自嘲ということになるのでしょうが、仕方がありません。老いとの勝負はすぐついてしまいます。こちらが負けるに決まっているのですから。相手は〈死〉という絶対に強い味方を背に負っているのですから。こちらが勝てる筈がない。
逃げているのかもしれない。そこに踏みとどまって、老いとやり合おうとする樋口さんの姿勢には敬意を抱きますが、自分ではとても考えられない姿勢です。なんでもないことが出来なくなっている自分に気づいた時、アレ、コンナコトが出来なくなっている、と驚くと同時に失笑してしまう瞬間があります。
信仰の問題、特に〈死〉の扱いについては、まだ解釈不足で何とも言えません。けれど、樋口さんの焦りや不安には敬意を抱きます。それは樋口さんがこれまでよく頑張ってきたからに他ならないのでしょう。
――〈三つめ〉。そういう老いの問題を語りあう老いの友人、知人を集める会を作ったから出て来いよ、との誘いを受けることがあります。面白そうだな、出て行くよ、と返事はしたのに、大学以来の友人であるその人物からの連絡を待つうち、彼は急病に襲われ、あっという間に亡くなってしまいました。そういう年齢を生きているのだ、とあらためてわが身に言いきかせたい思いに襲われました。