新品か中古品か
数年前、アメリカからイタリアへ戻って住むための家を探していて、夫の選んだ地域でいくつもの物件を見ることになった。不動産屋は私たちが気に入りそうな家をたくさん用意して見せてくれるのだが、広さ以外の点となると我々夫婦の好みはなかなか合致しない。どちらかといえば機能的で開放感のある新しい作りの物件に気持ちが動く私と違って、夫は見るからに年季の入った、築数世紀レベルの古い物件が良いと言う。
城壁の一部分を住居とした物件に連れて行かれた時、夫の目はミラーボールのようにキラキラ光り輝いた。担当者はそんな夫にすっかり気を良くして、ニコニコしながら、「1200年代に隣国と戦争があった際に50人の兵士がこの中で憤死したという、大変歴史のある塔を改築したものです。まさに遺跡に暮らすような感覚ですよ」などと説明して、さらに夫の気持ちを沸き立たせている。
「ここがいいなあ」と言われ、私が「50人の兵士に呪われるのはゴメンだ」と答えると、「ほら、また始まった。彼女はお化けを信じてるんですよ」と担当者に揶揄(やゆ)気味に話しかけ、二人で楽しげに笑っている。「イギリスではお化けの出る物件は高額でやりとりされますから、良い投資になりますよ」と、皮肉交じりに対応された。子供の頃、昼時のワイドショー番組で心霊写真を散々見せられた日本人の私にとって震え上がった記憶は、なかなか払拭できないのだから仕方がない。
最終的に決めたのは、現在暮らしている築500年の家なわけだが、ここだってかつて日本のオカルトシーンを一世風靡した霊能者の宜保愛子さんが訪れたら「ああ、いや、あちこち霊だらけじゃないの!」とか言いそうな雰囲気だ。ただ幸い私は霊感知機能が鈍いので、今のところ霊の気配を感じたことは一度もない。
夫の部屋には先祖代々から引き継がれている古い家具が配置され、おばあさんから遺産で相続したやはり400年くらい前の薄暗い修道士の油絵が飾ってある。イタリアなんだから、もっと斬新なスタイルのインテリアを加えてもよさそうなものだが、夫は本質的に新しいものへの関心がない。ちなみに、それは車を選ぶ時も同じで、彼は決して新車は買わない。新しいものを自分色に染めていくのが嫌いなのだという。
「新車は若いだけが取り柄の傲慢な女子高生みたいだし、過去が見えないのはつまらない。でも中古車には過去がある。家でも車でもその過去を感じながらも、自分と共生していく感覚がいいんだよ」だそうだ。
齢21にして14歳年上の子持ちという曰く付きの異国女と結婚したのも頷ける意見だが、イタリアには、少なくとも私の周りには、中古車好きが多い。夫の父親など、実際乗るわけでもないのに、古い車をヨーロッパ中からあれこれ買い集めてきてはそれだけで満足しているし、知り合いの多くも中古車しか買わない。値段的に圧倒的にお得というのも大きいが、やはり皆も自分色に染まっていないものとの共生を楽しみたいと思っているのかもしれない。
古いなりのメンテナンスの大変さを指摘すると、「だから、一筋縄じゃいかないところに惹かれるんだよ」と夫。いずれ私を介護するようなことになっても、そういうノリならとても嬉しいが。