系図の提出を拒絶した岩松守純

戦国の荒波に揉まれながら、岩松氏は何とか生き残りました。

岩松守純は関東に入った徳川家康に謁見します。

『寛政重修諸家譜』によると、守純は家康に岩松家の<系図>を提出させられた挙句、新田郡市野井村に捨て扶持としてたったの20石しか与えられなかったそうです。

一説によると、新田の一流を名乗る家康が<系図>を奪うこと、あるいはコピーすることを恐れて見せることを拒絶した。

そのために仕返しとして20石だけを与えられたともいいます。