「個性が邪魔」と言われた養成機関
そこからがまた、不思議な成り行きになった。
求人広告にあった通り、私たちは1年間の養成期間を終えて、NHKの専属になった。1954年4月のことだ。テレビジョンの放送は前年に始まったばかりだった。私たちはNHK東京放送劇団の五期生だったが、テレビのための俳優としては一期生であり、少しのちには、テレビ女優第一号、なんて呼ばれることになる。
まだ養成期間のうちから、私たちはテレビやラジオの〈ガヤガヤ〉、つまり〈その他、大勢〉、〈群衆〉、〈エキストラ〉として駆り出された。これが私には大の苦手だった。どうやら、私の声や喋り方や動き方は、自分で思っているよりも、かなり目立っちゃうらしかった。「ラジオを聴く人、テレビを見る人がガヤガヤに注目してしまったら、そこに重要な人物がいるのかと誤解してしまうから、なるべく目立たないようにしろ」──ディレクターの言うことは、頭ではよく理解できるのだけど、実際にやろうとしても、うまくできなかった。しかも、努力すればするほど、目立ってしまうようだった。
「そのヘンな声をどうにかしろ」「みんなと同じようにできませんか?」「喋り方が向いてないよ」「その個性は引っ込められないの?」「個性が邪魔!」「あ、来ちゃったの。帰っていいよ」なんて、言われ続けた。あげくの果てには、同期の仲間で私だけ、ガヤガヤから降ろされるようになった。
「無色透明」だから合格したはずなのに、個性が邪魔、目立つからダメ、と言われるのだから、どうすればいいのか、わからなかった。トモエ学園の小林校長先生の言葉のおかげで、私は自信を持って大人になれたはずなのに、だんだんと、その自信を失いかけていたかもしれない。