この店舗で、嘉子さんは料理教室、夫・賢治さんはレストラン、次女・貴子さんはお菓子教室を開く。キッチンで作業しながら「キッチンの配置などは父が決めました」と貴子さん(撮影:川上尚見)
60歳を目前にした時に、生活のダウンサイジングに着手した料理研究家の藤野嘉子さん。手放したもの以上に、得たものが多かったと言います(構成=村瀬素子 撮影=川上尚見)

大きな持ち家は維持費がかかる

30代で購入した150平米の持ち家を売って、65平米の賃貸マンションに移ったのは、私が59歳、夫が64歳の時。あと7年で住宅ローンが完済するというのに、「もったいないですね」と売却の相談をした銀行の担当者に言われました。私もそう思いましたよ。便利な東京都心にあり、居心地もいいマンションで、3人の子どもを育てた思い出もつまっている。ずっと住み続ける気でいました。

私は料理研究家、夫は料理人として、それぞれ仕事を持ち、30代から50代にかけてがむしゃらに働いてきました。夫は30代でフレンチレストラン「カストール」を開業し、50代の時に店をさらに拡大。店が大きくなれば従業員も増えるし、経費もかかりますから、ますます頑張らなきゃいけない。人手が足りない時は私も自分の仕事の合間に手伝いに走りました。

そうしているうち、日々追われるような生活に疲れてきたのです。「仕事のやり方を変えよう」と夫は店を閉めることを決断。新たに南青山のビルの一室を借りて、私の料理教室と夫のプライベートレストランを兼ねた店舗「カストール&ラボラトリー」をオープンすることにしました。今はパティシエをしている次女・貴子も加わって、家族で運営しています。

いわば“働き方改革”が前段階にあって、そのあとに夫から提案されたのが、「自宅マンションを売って、もっとコンパクトに暮らそう」という“暮らし方改革”だったのです。

最初は「え? なぜ、この年齢で手放すの? とんでもない!」と反論しました。私には持ち家へのこだわりや、賃貸物件に住むことへの不安もあって。でも、夫の話を聞くうちに次第に納得したのです。

持ち家だってタダで住めるわけではないんですよね。マンションの管理費が月7万円、駐車場代に固定資産税、それに加えてローンの支払いもある、と夫は数字で示してくれました。そのマンションは築30年ほどたっていたので今後は修繕費用も必要になるけれど、いま賃貸に引っ越せばもっと安く暮らせる、と言うのです。

収入が減ったのだから、支出も減らして「身の丈に合った暮らしをしよう」というのが夫の言い分でした。たしかに、子どもたちが巣立ち、夫と私、私の母の3人で暮らすには、うちは広すぎると私も感じていたのです。

夫はお金の管理など数字に明るく、将来の見通しを立てて動く人でしたから、その点は信頼していました。ただ、私のなかで最後までネックになったのは、「子どもたちの実家がなくなるのはかわいそう」という親心。ところが子どもに、「家や物じゃなく、お母さんの料理や思い出、そういう目に見えないものが残ればいい」とあっさり言われて。私が反対する理由はなくなりました。