嘉子さんのパソコンデスクをダイニングテーブルに。家族3人の食卓にはぴったり(撮影・井上孝明/講談社)

 

狭い家だからこそ活動的になった

家が小さくなると、家族との物理的な距離が近くなります。会話をしなくても夫や母の体調や気分が伝わってくるなどいい面もありますが、ずっと一緒にいると息が詰まってくる。(笑)

そんな時は、私は外に出て走ります。引っ越しをする少し前から健康のためにランニングを始めたのです。近所に隅田川が流れていて、緑豊かな川沿いは絶好のランニングコース。走ることがどんどん楽しくなり、ランニング仲間もできて、休日は仲間と10キロ、20キロ走り込むことも。

川沿いを走ったあと、下町を探索して、だんごやおにぎりを買って公園で食べるのが私のお気に入りの時間です。一方、夫は隅田川で趣味の釣りを楽しんでいます。狭い家だからこそ、二人とも外にどんどん出ていって活動的になり、体調も以前よりよくなりました。

母との距離の取り方も最初は悩みましたが、母はかなり自立心旺盛なタイプなので、年寄り扱いせず、世話を焼きすぎず、体力的にできないことはフォローする、と私なりのルールを決めました。食事も、私が家にいる時は「ご飯どうする?」と母に聞いて、食べたいと言えば作りますが、たいてい「自分でやるから大丈夫よ」と、私に頼ろうとしません。

母は母で家にあるものや買ってきたものを好きな時間に食べることが多いのです。体調がいい時は出かけたり、友人と歌舞伎を観に行ったりしますし、自分のペースがある。はたからみると、ちょっと薄情に映るかもしれませんが、つかず離れずの関係が私たちにとっては快適なのです。

60代目前で暮らしを小さくしたことで、私は精神的にすごく解き放たれた気がします。あのまま前の家に住んでいたら、「持ち家」「都心に住む」「広いほうがいい」といった価値観から抜け出せなかったかも。それを手放したことで、自分のなかの「こうすべき」といったしがらみや、「こうしたい」「あれがほしい」といった欲もどんどんなくなっていき、自由になった感じ。

ものへの執着もなくなりました。大人3人、ものが少なくても不自由なくやっていけるとわかったから。ものを大量に処分する際に心の痛みを味わったので、買い物もよく吟味するようになった。

リュックサック一つ買うのに、ネットで検索し、デパートやスポーツ用品店にも足を運び、半年ぐらい探し求めて、それでも決められず……。最後は、そんな私の姿を横で見ていた娘が「いいのがあったよ」と買ってきてくれました(笑)。やっと手に入れたものなので、大切に使っています。

引っ越して3年、そんなに買っているつもりはないけれど、ものは増えていくんですよね。逆に、これはもう使わない、というものも出てきます。そろそろまた整理しようと思っているところです。

人も状況も変化していくものですが、変化の先が見えないから不安にもなります。「年金でやっていけるのか」「病気になったらどうしよう」といった不安は誰にだってある。私にもあります。

夫とよく話すのは「身の丈に合った暮らしをしようね」ということ。現在わが家の生活は夫婦の仕事の収入と夫の年金で成り立っています。さらに私が65歳から年金受給をスタートするつもりです。

でも、もっと年をとって働けなくなれば、年金収入だけになる日も来るでしょう。母が亡くなれば家族が2人になります。そうなった時は、もう少し狭くて、家賃の安いところに住み替える。そこでまた隅田川のような素敵な場所に巡り合えるかもしれない。

その時の身の丈に合った快適さ、楽しみが絶対あるはず。こんなふうに柔軟に考えられるようになり、心が強くなったことは私の財産です。