“世の中のシステム”みたいなものに板挟みに

意知は誠実な好青年なので、彼を好きになる、ということ自体は簡単。でも、27回の一話だけで“好き”から“恨み”に変わり、ついには殺さなきゃならないというスピード感は、やはり演じる上で大変でした。

役割を調整する何かを受け取るようなシーンがあれば、持っていきやすかったと思うのですが、今回は限られた場面だけで斬りかかるところまで行かなければいけなかった。もちろん台本として書かれているものだから、やらなければならない。でも視聴者から「唐突に殺しに行った」とは思われたくない。

なので、27回の中の1つ1つの場面で、どこまで自分を追い込めるか。ふだんの芝居なら、1受け取ってもらえたらいい場面を100に上げていくような…。そこは精神的にきつかったですし、それこそ初めての体験だったのかも。

政言は“世の中のシステム”みたいなものに、怒りを覚えている人なのかな、と感じていて。

(『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』/(c)NHK)

“生まれ”はとてもいい。でも“生まれ”に頼ることができた時代は過ぎて、サラリーマンではないですけど、“実力”でのしあがっていかなければならない時代に変わってしまった。

実際、自分の家よりランクが下だったはずの田沼家が上にいるわけです。そんななかで父親が認知症を発症していて。その対応自体、大変だったと思うし、さぞ精神的に疲れていたんだろうなって。

そもそも、「父親の世話をしなきゃならない」っていうのも、システムの一つだと思うんですよ。 父親が常に上にいて、何を言われようと父親の発言が絶対、という事情もあったでしょう。その父親から、「田沼よりも上だ」と家の中で言われ続けても、一歩外に出たら…。

そんなシステムから板挟みにされた絶望感のようなものを中心に据えて、演技をしていきました。