ヨシミ姉と2人で自宅のあった場所に行きましたが、焼け野原でした。川のほうに行くと、たくさんの死体が横たわっているんです。その中に母がいるかもしれないと思って一人ひとり見て回ったのですが、真っ黒だし服はぼろぼろだし、ようわからんのですよ。母に似ているかなと思っても、これも違う、これも違うって……。
その日の夕方、電車道近くの収容所で、思いがけず母が見つかりました。母は、ピカッと光った瞬間、家が崩れて下敷きになったそうです。しばらく気絶し、気がついてから迫る火を逃れて川に入り、動けなくなったところを兵隊さんに助けられた、とのことでした。
10日、昼に炊き出しの白いご飯のおにぎりが届きました。それまでは配給されるお米の量が少なかったので、お粥か、大根をたっぷり入れたご飯しか食べていなかったこともあり、おにぎりがどれほどおいしかったか――。
あの時のことは、いつまでも忘れられません。今でも炊飯器の蓋を開け、炊きたての白いご飯を見るたびにあの日が蘇り、今、当たり前に食べている白いご飯は当たり前じゃない。平和な時代なればこそ、と思うのです。
11日、姉は母の実家に行こうと言い、動けない母を姉が背負って駅まで行って列車に乗り、伯父の家に転がり込みました。その後も母の容態はよくならず、しきりに妹のシズヱに会いたがります。妹の疎開先に電報を打つと、妹は8キロくらい歩いて会いに来ました。
8月14日。母は「ヨシミ、サヨ子、シズヱ、母さんはもうダメかもしれないので、3人仲よくしなさいね。人様に迷惑をかけるような人間になってはいけない」と言い残し、息を引き取りました。姉と妹と3人で母に取りすがって、泣き叫ぶことしかできませんでした。