子どもにすすめられ自分史をまとめて
少し世の中が落ち着いてから、私は三菱重工にアルバイトに行くようになり、夜間学校に通い始めました。19歳でカトリックの洗礼を受け、職場も通っていた教会も同じだった人と結婚することに。原爆であれだけ苦しい思いをしたのだから、世界一、幸せな家庭を作ろうと心に誓いました。
おかげさまで、4人の息子、3人の娘に恵まれました。夫は子どもが大好きで、本当にかわいがってくれたものです。まぁ、7人も子どもがいると、てんてこまいですけどね。

昭和29年、カトリック祇園教会にて挙式。「衣装は人に借りてなんとか揃えたんです」と田戸さん(写真提供:田戸さん)
71年、夫が東京に転勤になり、広島を離れて生活することに。何かの折に子どもたちに原爆の話をすると、「もう、やめてくれ!」「その話は聞きとうない」と嫌がられました。怖い夢を見る、というのです。
その子どもたちも大人になり、家庭を持つようになると、子孫のためにも私の経験をちゃんと書き留めておいてほしいと言ってくれるようになりました。そこで90歳の時、原爆体験も含めて自分史をまとめたのです。
今、孫が13人、ひ孫が8人。子どもの連れ合いをあわせると40人を超えました。今は三女と、三女の末娘と一緒に暮らしていますが、お正月や私の誕生日にはこの家に集まって大宴会をするんですよ。
最後に、恥ずかしながら短歌を三首。7人目の子どもが3歳になった時から、短歌の勉強を始めましたが、そのなかから原爆に触れたものを記します。
幾万の霊も聴きゐむヒロシマの平和の鐘を我生きて聴く
被爆して水欲(ほ)る人を見捨てたる我は五十年越して生きる
核兵器廃絶に遠くかの夏の惨を人らはわすれむとす